駅員が行き先を尋ねたので、北海道歴史村へ行きたいと言ったら、彼はタクシーを予約する必要があると言った。私は誰かがタクシーを降りるのを見たので、係員にそのタクシーを呼んでくれるように頼んだ。我々を乗せたタクシーは森のような公園を通り抜けた。遥かかなたにオベリスク(方尖柱)がその公園の真ん中にそびえ立っているのが見えた。後でわかったことだが、それは重要な意味合いのあるもので、野幌森林公園周辺での北海道開拓の100周年を記念して建立された百年記念塔だった。その広大な場所は2050ヘクタールもあるという。移民館に着いたら階段があったので運転手は迂回して丘を上り、側面の入り口に向かったが、施錠してあった。彼が守衛とインターホンで話し、鍵を開けてもらった。我々は早起きで、開館時間前に着いていたのだ。ちょうど職員が出勤してくるところだった。守衛は我々を待合室に案内してくれた。あたりは非常に静かだった。掲示板には開館時間は9時半と書いてあった。入り口から外をさっと眺めてみた。広い森が広がっていて、紅葉した木々の葉がひんやりした風に揺れている。ここだけは大都会の喧騒の中で落ち着いた静寂の空間だった。9:25までに我々は610円の入場券を買う列に並んだ。私の相棒はコインを全部出して、料金係に渡す用意をした。女性の係員は無料だと言って、英語で書かれたガイドマップをくれた。相棒は自分の入場料を払うと言い張ったが、彼女は無料だと丁寧に教えてくれた。北海道歴史村は野幌森林公園内の54ヘクタールを占めている。1983年に開園した19世紀半ばから20世紀初頭にかけての明治大正時代の復元地域を訪れることが出来たのは驚きだった。この古い時代の建造物は北海道の開拓者たちの生活様式を表わしていた。事務棟の入り口が、古い札幌の鉄道の駅だったとは知らなかった。入り口の開拓使札幌入植本部から始まり、インフォメーションセンター、トレーニング室、講堂、談話室がある。次に二階建ての木造建築の浦河北海道副庁舎がある。小道に沿って続く往時の線路跡は、現在は馬車のコースに使用されている。冬にはそこで馬ぞりができるそうで面白そうだ。次に進むと、小樽新聞社、開拓使産業事務所がある。いちばん興味を引いたのは赤いレンガの交番で、1971までは、そこから町を見下ろすことができた。島浦郵便局は1886年にニシン漁の全盛期に建てられたもので、送金などにも利用されていた。山本理容店、渡邉食品店、浦河教会と進んで行くと、研究旅行で来ている生徒の一団が、我々に近づいてきて、日本語で質問した。英語で返答したら、彼らは一瞬戸惑ったようだったが、互いに笑い始めた。通行人のひとりが彼らに我々のことを外国人だと説明していた。この生徒たちに、もっと勉強して英語を理解するようになって欲しいと言いたい。大きな池の先にある巨大な鐘楼はニシンの大漁を祈って青山家が造ったものだという。「子供広場」は当然子供たちのための遊び場だ。若狭倉庫の所で馬車のコースがは終わっている。北西館という蚕小屋では蚕が桑の葉を食べているところを見た。宮城県の士族の一族である岩間家の家屋、山本消火道具店、本庄鍛冶屋、広瀬写真館、近藤医院、武井酒醸造所、さんまる蕎麦屋、くるまさ旅館に近藤染物店などなど。まだまだあるが回わり切れない。この辺でレストランで休憩。テーブルについてウェイターが注文に来るのを待つ。ウェイターがやってきて、入り口のショウ・ウインドウのメニューを見てくるようにと言った。販売機でシーフードの食券を買いカウンターに渡した。それからガスコンロと一緒に鉄製のプレートと、皿いっぱいのシーフードが運ばれてきた。ホタテ、カニ足、鮭、冷凍牛肉のスライス、もやし、キャベツ、アサリなど。プレートが熱くなると、ウェイターは2塊りのバターをのせてくれた。それから先は自分たちで料理しながら食事を楽しんだ。この4000円のランチは今まで食べた中で最高だ。このレストランは19世紀の赤いレンガ造りで、札幌ビール博物館のそばの札幌ビアガーデンにある。「ジンギスカン鍋」のように、マトンと野菜を鉄板の上で料理するこの地の特産料理は1時間内で食べ放題。見逃してはならないものの一つだ。